もやし炒め
私は仕事上の付き合い、つまり飲み会が多い。お酒も好きなので、基本的には断らない。
夕べも飲んで帰った。
「お腹すいたよー」
宴会のコース料理はきちんと食べるが、居酒屋ではそんなにがつがつ食べるわけにもいかず、大体お腹がすいたまま帰ることになる。
「もやし炒め作ってあげようか?」
「食べるー」
あっという間にキャベツともやしを炒め、別のフライパンで作った半熟目玉焼きをのせたものがあらわれた。
「味付けは?ソース?」
「醤油がいいな」
「変なの」
といいつつも醤油をひとまわしかけて完成。黄身をくずして絡めながらいただく。
「美味しい」
自分で作らなくても美味しいものが食べられるありがたさよ。
たぶん、bungoくんは人に気を使うのが性分なんだろう。
私は細かいことはあまり気にせず、物事をどんどん進めることが好きなのだ。
この正反対な組み合わせだから、何とかやれているんだよね、と思いつつ。もやし炒めを完食する深夜である。
ゴースト・イン・ザ・シェル
なぜ、今この時に、この映画は作られなければならなかったのだろうか。
映像技術が追いついたからか?
スカーレット・ヨハンソンという女優がいたからか?
攻殻機動隊という30年経っても色あせるどころか、ますます人々を魅了し続けるコンテンツへの誘惑か?
映画に限らず、創造物は否応なしに社会をうつす鏡だ。
士郎正宗が来るべき時代に向けた祝福として原作を産み出したように。
押井守が狂騒の時代に人間とは何かを問いかけたように。
ならばこの映画も時代が求めたはずだ。
それはなんだ。
ヒントはAIのような気がする。
劇中で再三出てきた「彼女は機械よりもAIよりも優れている。」という台詞。
おそらく、ここに作り手が込めた意味がある。
しかし、おかしい。
コンピュータを駆使した映像で、人間はAIよりも優れていると言うのか。
優れているとは自分で判断して正しく行動できることか。
人間こそが正しい判断をできるというのか。
そのために「攻殻機動隊」を、「ゴースト」を利用したのか。
それがアメリカという国か。
自らの主張のためにここまでやろらなければいけないこの国が何故かとても疲れているようにみえる。
人間であり続けるために必死すぎて。
海軍カレー
最近の朝御飯はサンドイッチが多い。
具はレタス、キュウリ、トマト、ハム、チーズ。野菜たっぷりでヘルシー。それにトワイニングのアールグレイに牛乳を入れたミルクティが定番。全部我が家の専業主夫、bungoくんがつくってくれる。そのうえ、マグカップはお湯で温めてから使うし、朝御飯の後にシャワーを浴びてくると氷が入っていてアイスティになってるし、至れり尽くせり。
嬉しいけれど少し恐い。
もし立場が逆だったら、ここまで要求されたのか、無理。
良かった、定職があって、そこそこ給料をもらっていて。
bungoくんは2013年まで大企業に務めていた。お給料も私より沢山貰っていた。でも、凄くハードな仕事で年金が出る年数に達したのを期に早期退職したのである。
私がbungoくんと出会った時、私はクライアント、彼は受注業者だった。お互いの仕事についてよく知っているし、彼が辞める理由もよくわかった。だから、退職には賛成した。ただ専業主夫になるとは思わなかった。昭和の男なので抵抗があるだろうし、自由になるお金がないことに耐えられないんじゃないと思っていたから。
同棲当初は全く家事をせず、家にいてネットとゲーム三昧。しばらくして料金が払えなくなったみたいでiPhoneを解約。これは私が気がつくまで黙っていた。そして煙草を買ってきてと頼まれるようになり、持ち込んだMacBookもいつのまにかなくなり。でも掃除(トイレ以外)と洗濯(自分のだけ)以外の家事はせず。そんな状態を一年続けた。
転機ははマツコの番組のお弁当特集。何気なくそれを二人で見た次の日ぐらいからbungoくんのお弁当づくりは始まった。
そこからは早かった。大企業の前は飲食に勤めていたので喫茶店とバーのメニューは作れるし、皿洗いだけでなくキッチンの掃除も完璧。私より基礎力があるから本気になれば上達は早い。
そして今、朝のサンドイッチとアイスティにいたる。
bungoくんに同棲当初どういうつもりだったか、今、どんな気持ちなのかは尋ねない。答えてくれるはずがないから。
今朝、家を出る時、晩御飯はカレーと言われた。曜日の感覚を忘れないために海軍カレーにあやかるそうだ。
そうやって工夫をしていく限り私たちは一緒にいられると思う。
趣味の料理
bungoくんは美意識が高い。
料理は作り置きをほとんどしない。お弁当用の小さなハンバーグも朝にひき肉を解凍してこねるところから始める。
彩りを考えて副菜を数種類つくり、お皿にきれいに盛り付ける。
主夫の料理じゃない、趣味の料理だなあと思う。
それを毎日いただけるのは大変ありがたい。
ここにいたるまでいろいろありましたけどね。
コロッケとか買った方が安くて美味しいものをつくりったり、お好み定食を出されたり。三品とも油をつかったおかずのお弁当に持たされたり。いや、だいたい美味しかったけど、カロリーががが。
そこで太っても文句を言わず、ありがとうといただいていたら、だんだん料理への探究心がわいてきたのか、レパートリーが広がってきた。買い出しにも自分で行くようになり、そこで食材計画をたてつつ、興味がひかれるものを買って、いろいろ試すようになった。
私も極力何も言わなくなった。私より料理が上手いだけでなく手際がよくて、片付けもキッチリしているんだもの。食材を余らせてダメにすることが最初は気になったけど、今、私が得ている快適な食生活を考えれば、そんなこと大した問題ではないと思えるようになった。
相手の自主性を尊重し、型にはめず、見守ることとはこういうことか、とわかった。
これは私もbungoくんも人生の折り返し地点を過ぎているから可能な変化なんだろう。30代だったら多分無理。
家庭料理が趣味の料理でも私たちが納得していれは全然いいんだよ。
とはいえ、問題が全くない訳ではない。それはまた別の機会に。
かいじゅう
久しぶりに実家に帰った。
母が賞味期限切れのピーナッツクリームパンを二つに割り、両手に持ってむさぼり食べている様子を見て思わず、
「怪獣」
と言ってしまった。
・・・わたくし、この母の娘だわ
ばけもの
私は実年齢よりも若く見られる。
幼い頃は老けて見られたのだが、25才を過ぎたあたりから逆転した。同時に周囲から美人だといわれるようになった。自分ではさほど思わないが、言われた言葉はありがたく頂戴した。謙遜をし過ぎるのも相手に失礼だから。
しかし、母は容赦がない。
「あんだ、ばけものだな」
「はあ?」
「その歳で、全然皺が無い」
「最近、目の下に出てきたよ」
「でも全然目立たない」
「まあねー」
そうなのだ。実年齢よりも私は少し加齢が遅いようなのである。でも、遅かれ早かれなので、誇れることでもない。
しかし、ばけものって。正直すぎるだろう。我が母の言葉は一味違う。
春キャベツの餃子
「izumiちゃん、料理忘れたん?」
今夜は少し早く帰れたので、台所に立つ。晩御飯のメニューは春キャベツたっぷり餃子。それだけだと寂しいので副菜に温野菜をつくる。それが私の担当。
しかし手際が悪く、シリコンスチーマーをひっくり返したときにbunngoくんに言われたのがこの言葉である。
bunngoくんがこの家に来て1年くらいは私がごはんをつくっていたんだけどねえ。
2年前からbunngoくんの専業主夫化が始まり、今では私はトイレ掃除以外の家事はしていない。しかももともと家事が苦手なのでどんどん忘れていく。
「しょうがの千切りどうするの?」
「コウケンテツレシピや」
テレビで見た餃子のたれだそうな。酢醤油にしょうがの千切りたっぷりをのせて。これがしょうががフレッシュで美味しい。
どんどん生活能力が落ちていっているけれど、毎日美味しいごはんが食べられるし、当分はこのままでいいんじゃないのかなと思う今日この頃。